SHOSHI NEKO NI ENGAWA LINE UP
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【新刊】土民生活流動体書簡集(一) バックレ可(笑)
¥1,600
『土民生活流動体書簡集(一) バックレ可(笑)』 土民生活流動体著 よしのももこ編 虹霓社の新レーベル「NIJI BOOKS」より刊行 以下、虹霓社の商品紹介より ぐるぐる迷走していた首都での暮らしから〝バックレ〟て、家族とともに離れ小島へ流れ着いた「わたし」は、トットちゃんのトモエ学園、ルイス・ミショーのナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストア、大杉栄の「鎖工場」、中島正の自給農業、石川三四郎の土民生活などを日々の生活に織り込み、都会では起こりようもない出来事に振り回されながら、徐々に〝生きている〟を取り戻していく。 「積極的にバックレたい。できてるフリをするよりできなさを体感したい。できないならできない者としての生活をガチでやりたい。都会がダメで田舎がすばらしいとかじゃない。自給自足がどうのこうのとかでもない。ただ、毎日の生活に読めなさを取り戻して、《生きている》のままならなさに日々驚いていたい!」(本文より) 限定50部の私家版【新刊】ジドウケシゴム(第2刷)とあわせてどうぞ。 https://shoshi.nekoniengawa.net/items/79285048
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【新刊】ある水脈と石川三四郎
¥3,960
山口 晃ヤマグチ アキラ(著/文) 発行:虹霓社 4-6 510ページ 価格 3,600円+税 『ヘンリー・ソロー全日記』訳者・山口晃の初著作、思想家・石川三四郎を新たに読み解いた力作 幸徳秋水、大杉栄と並ぶアナキズム運動の先駆者の一人と称せられる石川三四郎。その石川が出会った〝ある水脈〟。田中正造、エドワード・カーペンター、ヘンリー・ソロー、椎名其二、中西悟堂、金子きみ、唐沢隆三…そしてエリゼ・ルクリュ。 『ヘンリー・ソロー全日記』や『コンコード川とメリマック川の一週間』(而立書房)、『ソロー日記』 春夏秋冬全4巻(彩流社)など、ソローの翻訳で知られる山口晃による初の書き下ろし。 石川三四郎を従来の「アナキズム」「社会主義」では括らず、「身体」「草鞋」「さすらい」「居場所」「裸」などのキーワードを軸に、石川が出会った人々を通して思想家ではない石川三四郎像を描く。石川論の新しい地平。 <四六判:510頁> 目次 Ⅰ ある水脈との出会い 一 土民生活 二 保守 Ⅱ 水脈の傍らで 一味 原風景としての帆船 「妹の力」 斧吉と観音さま 二人の異邦人 モロッコの光と影のなかで なりわいと椎名其二 武蔵野と中西悟堂 裸 歌集『草』出版のあとさき 『ディナミック』から『柳』へ さすらいと居場所 泉をつなぐ地下水脈 思想でない、ある水脈 補記 踊りながら 補記Ⅱ 東洋の穏やかな呼吸―軽さとおおらかさ― 前書きなど 四十年ほど前、子供が二歳くらいの頃、昼間、毎日時間があり、双子だったので自転車の前と後ろに乗せ公園に行っていた。しばらくするといっしょに歩いて行った。公園に碑があった。「私は何時も永遠を思ふが故に、時間を限った成業を願はない」と刻んであった。このとき郷土の人、石川三四郎について、私は何も知らなかった。 それから七、八年後であったろうか、町の図書館から石川三四郎宛の外国人書簡の整理を頼まれた。たまたま私が少しフランス語と英語が読めたからであった。日本人の書簡も含め、整理しながら面白い人だなと思った。 数年して資料などを紹介する『木学舎便り―石川三四郎研究個人誌』というのを手作りで作り始めた(一九九七年九月が第一号)。十年続けて、第八号(二〇〇七年四月)で終わりとなった。 それから十数年がたった。柿の木から落ちやや大きなけがをして、一カ月ずっと寝ていた。毎日仰向けになって万葉集を読んでいた。気がつくと石川三四郎のことを再び考えていた。いままでと違って、この人はある水脈に出会った人だったのだな、と思った。私たち一人一人と同じように佇み、歩く人であった。永遠を見つめながら。 (「はじめに」より) 版元から一言 石川三四郎といえばアナキストというのが一般的です。確かに「アナキスト」であることは間違いないのですが、でもそれだけではこの人物のほんの一部分しか表してないなとずっと思ってきました。2020年に復刊した石川三四郎の評伝『石川三四郎 魂の導師』の著者である大澤正道さんから、版元がなかなか見つからないという原稿を紹介されました。それがこの本の元となる原稿でした。 山口晃さんといえばヘンリー・ソローの翻訳ですが、私にとって山口さんは『木学舎便り 石川三四郎研究個人誌』の人でした。原稿を読んで感動しました。これこそ私が感じていた石川三四郎だ、と。石川三四郎は大逆事件後の日本を脱出して渡欧した際に職探しをするのですが、英語ができた石川は語学や教育関係の仕事ならすぐ見つかるはずでした。しかし、石川がある職にこだわったために難航します。その職とはサンダル(革草鞋)工場と農園。山口さんは、そこから見えてくる石川三四郎にこだわり続けたのです。だからこそ、これまでにない石川三四郎が見えてきた。ある水脈に出会った石川三四郎。それは特別な水脈ではなく、いつの時代でもどんな場所でも耳をすませば聞こえてくる水脈。山口晃も出会った。あなたにもその水脈に出会ってほしいと心から願っています。 著者プロフィール 山口 晃 (ヤマグチ アキラ) (著/文) 1945年、埼玉県本庄に生まれる。『木学舎便り 石川三四郎研究個人誌』(1997~2007年、全8巻)、『木菟庵便り Thoreauvian notes』(2012~18年、全10巻)、『月の便り ある水脈の傍らで』(2012年より、年2回刊行中)、いずれも個人誌。20年ほど前から、1日のうち3分の1は農作業、大工仕事をし、残りの時間はヘンリー・ソロー全日記を訳している。H・Sソルト『ヘンリー・ソローの暮らし』(風行社)、ソロー『コンコード川とメリマック川の一週間』(而立書房)、『ソロー日記』 春夏秋冬全4巻(彩流社)を訳してきた。 上記内容は本書刊行時のものです。
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【新刊】放浪の唄 ある人生記録
¥2,200
高木護(著/文) 発行:虹霓社 B6変 350ページ 並製 最後の放浪詩人・高木護の原点 人間賛歌の自伝的エッセイ復刊 九州一円の野山を放浪しながら、その日暮らしの日雇い仕事。闇市番人、露天商、ドブロク屋、立ちん坊、人夫…。社会の底辺で出会った哀しくも愛すべきニンゲンたちとの交流をユーモラスに描き、放浪詩人・高木護の名を世に知らしめた出世作。半世紀ぶりに復刊。 稀有な放浪経験をもとに人の在り方を鋭く問うた『人間浮浪考』『人夫考』『野垂れ死考』など数々の優れたエッセイを遺した詩人の原点とも言える名編。しあわせなんてそこらにころがっているー放浪の末に高木がたどり着いた人間/自然讃歌は、生き方を忘れた私たちへの希望の唄である。 「わたしのような、何の取柄もない男の生き方は、一つしかない。 どんな逆境でも、のんべんだらりと、それなら、それになりきって、ささやかなたのしみを見つけることだ。」 「ニンゲンなんて、おもしろく、おかしく生きるが儲けではないか。」(本文より) 目次 放浪の唄 プロローグ 働きはじめる──葉ちゃん─その他のこと 十六歳の陸軍軍属──葉ちゃんの自殺と南方転属 十七歳のスパイ──とマライ娘 終戦・重労働刑二ヵ月──武装解除と軍事裁判 死の島の抑留生活──飢えとたたかった死の島レンバン島 ふるさとに帰る──両親は既に亡く喀血する体で鍬をもつ おなごはこわい──飢えに泣く幼い兄弟のために作男になる 村でのいろいろのこと──ジープのハヤノ先生 口へらしのために家出──わたしは卑怯といわれてもいい チャンバラ劇団の役者になる──劇団脱走・新劇団創立・スターの死 熊本市のバラック長屋に住みつく──政治結社理想協会の松介氏 担ぎ屋になる──闇屋のはじまり、はじまり 闇市場番人になる──わたしは、弱虫だ 飴屋の手伝いをする──花びらのような雪が降る 屋台店を共同経営する──満天の星は美しかった 古物商を兼ねる──古下駄の唄 易者になる──人生なんて 焼き芋屋になる──ミッチも好きだ 再び村のこと──ストップ、出来ない 豚小屋番人になる──おもしろく、おかしく生きるべし 趙家顧問になる──凄い小娘たち 金属回収業をはじめる──バサ、テツ、イモノ、ナマリ プレス工場の重役になる──重役とは? ボロ選別工になる──気の向くままに ポン引きになる──それもおもしろいじゃないか 紙芝居屋になる──奥サンと女房 ドブロク屋をはじめる──人夫の神様のような 飲食店をやる──オール密造酒だ 露天商になる──サッちゃんのオッパイ 印刷工になる──愛が見えない 村へ逃げ帰る──弱虫も重病である タブシバ工場を共同経営する──水車は、ひねもすカッタンコットン 座元になる──旅芸人の娘たち トラック助手から、三輪車助手に格下──事業は五万円の車から 石工見習になる──嫁ごをもらおう 隠坊になる──芋生の源ヤンは、トンネルの番兵 最後の家出──永遠にさようなら 立ちん坊になる──イッちゃん、遊ぼうよ 乞食に弟子入りする──師匠のシャッポ君の乞食訓 唄い屋になる──デッカイキボウノクモガワク 拾い屋になる──歩きながらの昇天 パチンコ屋の用心棒になる──趙家の娘にまた逢った 三助になる──汝の名は男なり、アーメン! 木賃宿に住みつく──一発百円の夜の天使 旅館番頭になる──おなごの歴史は、アベック旅館から 飯場人夫から同帳場になる──出ツラーめし代と酒代=おけら 下請け会社の人夫になる──谷川雁と森崎和江夫妻 労働下宿の人夫になる──ドン底には、底がある 結婚──さらば九州よ 独りごと──または結論 あとがき 【解説】放浪詩人は戒める(澤宮 優) 前書きなど 【解説】 澤宮優「放浪詩人は戒める」より 「今、世の中の歯車がとめどなく狂っていると感じるのは私だけではないだろう。〔…〕その原因を見つけるのは簡単ではないが、戦後の歩みが正しかったのか考察するときに、高木が書いた著作を読むことで得られるものは大きい。そのスタートは勿論『放浪の唄』である」 「地位、学歴、金銭、人は余計なものを持ちすぎる。天にいる高木から「今は本物の人間は一人もいない」と喝破されないよう戒める必要がある。これから高木の数多くの著作は燦然と輝き、私たちを魅了し、ひとつの生きる道筋を示してくれる」 版元から一言 「高木護」というひとりの詩人と出会ったときの衝撃が忘れられません。すでにお亡くなりなっていた高木さんをもっともっと知りたくて、次々とその著書を買い求めましたが、どの本も名著なのに絶版ばかり。そのうちに、自分で復刊して高木さんの生き方/生き様を誰かに伝えてみたくなりました。 しかし、出版社での編集経験もないわたしにはその術(すべ)がありませんでした。だから、高木さんの評伝をお書きになった澤宮優さん(本書解説)に思い切ってご連絡を差し上げ、ご返信をいただいたときの喜びは、言葉にできないほどの嬉しさでした。そして、ご遺族からも復刊の許諾をいただき、独学のインデザインで本文を組み、などをしているうちに結局一年以上もかかってしまいました。ようやく完成したのが本書です。 澤宮さんは解説にこんなことを書いてくださいました。 「これから高木の数多くの著作は燦然と輝き、私たちを魅了し、ひとつの生きる道筋を示してくれる」 その生きる道筋を示すため、これからも高木さんの本を復刊していきます。山麓のひとり出版ですから、そうたくさんの部数を発行できるわけもなく、また第二弾をすぐ刊行できるほどの労力も資金もありません。一冊ずつの細々とした歩みしかできませんが、「一人でも多くの人に」ではなく、「高木さんを必要としているあなたに」届けたいと思っています。 著者プロフィール 高木護 (タカキ マモル) (著/文) 1927(昭和2)年に熊本県山鹿市(旧鹿本郡鹿北町)に生まれる。就職した博多の丸善書店で文学と出会い、詩や小説を書くようになる。1944(昭和19)年、陸軍気象部に少年軍属として入隊。南方戦線でマラリアに罹り九死に一生を得る。復員後は後遺症に悩まされ職に就けず、放浪の旅に。農家の日雇いをはじめ、劇団役者、闇市番人、露天商、ドブロク屋などで糊口をしのぎ、福岡県久留米市の詩人・丸山豊の詩誌『母音』で詩作を本格化させる。同人には松永伍一、川崎洋、谷川雁、森崎和江らがいた。 1954(昭和29)年、初の本格的な詩集『夕御飯です』刊行。翌年頃から、ときおり町で立ちん坊や乞食見習い、拾い屋等をしながら、九州の野山をひたすら歩く。この経験が後に『野垂れ死考』『木賃宿に雨が降る』など数々の作品を生む。北九州・八幡の労働下宿で人夫をしていた1963(昭和38)年、雑誌『女性自身』で特集が組まれ、同誌を読んだ女性と結婚し上京。詩人・文筆家としての道を歩んでいく。 1965(昭和40)年、自伝的エッセイ『放浪の唄ーある人生記録』を発表、反響を呼ぶ。以降、『天に近い一本の木』『鼻歌』などの詩集、『人間浮浪考』『人夫考』『あきらめ考』『忍術考』などのエッセイ集を次々と刊行する。 九州一円の放浪(高木は「ぶらぶら歩き」と呼ぶ)や人夫仕事の体験を元に、どん底で生活する人間の哀しみと逞しさ、明るさ、愛しさをユーモアを交えて描いた。〝敢然と用を果たさない〟 高木が放浪の末にたどり着いた思想は、我々の足もとを揺さぶる。自由と反骨の人。2019年、急性心不全のため逝去。享年92歳。 上記内容は本書刊行時のものです。
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杉並区長日記ー地方自治の先駆者・新居格
¥1,760
新居 格(著/文) 発行:虹霓社 B6 ◉戦後はじめて杉並区民が選んだ区長はアナキスト⁉ 敗戦後の廃墟と混沌の中、日本一の文化村を目指して杉並区の初代公選区長に就任、政治・行政の旧弊打破に挑み、小地域からの民主主義を掲げた破天荒でユニークな〝アナキスト区長〟新居格。彼が目指した理想の地方自治とは。区長在任わずか1年、苦闘の記録が約40年ぶりに待望の復刊。 ◉地方行政・地方自治の先駆者として 忘れられた文筆家・新居を、地方自治・地方行政、まちづくりの視点からの復権を試みた小松隆二氏(慶応大名誉教授)による渾身の書き下ろし小伝「〝地方自治・地方行政の鑑〟新居格の生涯と業績-典型的な自由人・アナキスト」ほか、ユートピアンであった新居の知られざる一面を当事者が綴った大澤正道氏によるエッセイ「新居格と「世界の村」のことなど」の2編を合わせて収録。 目次 Ⅰ 区長日記 区長はスタンプ・マシンなり/文人の眼・官僚の眼/大臣以上の村長さんを/〝陳情政治〟へ思う/面白くない〝登庁〟/苦々しい運動風景/モンテーニュの政治論/開校式の日のこと/映画のプロデュース/役所の建物も生きている/オフィスの裸婦図/自分のことなのに……/ひとりの孤児/愛児のために手をつなごう/〝塵世〟〝浮世〟を体験する/ネクタイを二本結ぶ/正面からくればいいのに/額の文字/明るい手紙/子供の世界/魔法のつえ酵素肥料/区長意識/野外ダンス・パーティ/文学少女のダンサー/ボス、農地視察に赴く/送られた郵便切手/ガラス箱の区議会/区長は読書しなくなる/すぐれた都市計画者/ピエールの意気/緑の世界に和む心/水蒸気の悲劇/接待タバコ/人間愛の行政を/こころのふるさと/「多忙」について/北海道へ旅して/条理に終始すべきか/日曜日/交際費/牛乳屋の李さん/古ぼけた区長会議/新年の挨拶に辞意を……/成年式にのぞんで/ある日の黙想/退職届 Ⅱ 覚え書 はじめに 民主化は小地域からというわたしの持論 政治的蜃気楼 出馬という言葉 世界の杉並区︱わたしの文化設計 ドン・キホーテ黒亜館に赴くこと 助役さんドンキホーテに面喰らうこと 形式に悩まされること 伊原画伯の裸体画をかけること 区長の机を受付に置くといったこと 政治力がないと攻撃されたこと 公私をどこまでも分明にすること 民主主義とはどろんこの里芋を桶に入れてごりごりやること 演説にしばしば波長の違うこと ハムレットの父親の亡霊のようなもの 議員の数が多過ぎること 自治体議会は国会の十六ミリであってはならないこと 「わが杉並に大ボス小ボス……」という演説のこと 「子供の町」「文化会」のこと 「交際費」の減額が提言されたこと 町の新聞 地域ボスの生態 学校の問題で手を焼くこと 政治的スポーツのこと Ⅲ 区長落第記 親愛なる都職支部諸君へ ユートピアを幻滅すること 区長落第記 〈小伝〉 小松 隆二 〝地方自治・地方行政の鑑〟新居格の生涯と業績ー典型的な自由人・アナキスト 〈エッセイ〉大澤 正道 新居格と「世界の村」のことなど 前書きなど ・(杉並)区には学者、文化人、知識人達が多く在住しているのであるから、わたしはゲーテや、シラーや、ヴィーラントやリストの住んでいたワイマールのような、芸術的香気の高い地区にしてみたいと夢みた。 ・そうした夢の設計が、どの程度にまで実現するか、それともしないか、神様でないわたしには分からない。でも、わたしには夢みるものがあるのでなければ、わたしは区長なんかになっているのはいやだ。 ・天下国家をいうまえに、わたしはまずわたしの住む町を、民主的で文化的な、楽しく住み心地のよい場所につくり上げたい。日本の民主化はまず小地域から、というのがわたしの平生からの主張なのである。(本文より) 〔カバー・表紙デザイン〕成田圭祐(Irregular Rhythm Asylum) 著者プロフィール 新居 格 (ニイ イタル) (著/文) 徳島県板野郡斎田(現鳴門市)生まれ。徳島中学、七高を経て、東京帝大を卒業後、読売、大阪毎日、東京朝日の各新聞社で活躍。退社後、数多くの雑誌に執筆し、作家、評論家としての地位を築く。創作集『月夜の喫煙』をはじめ、著作も相次いで刊行。「左傾」「モボ」「モガ」などの時代の流行を上手く捉えた造語を生み出す。 20年代半ばからはアナキズム陣営の先頭に立って評論活動を行う。また、協同組合運動(生活協同組合で知られる賀川豊彦は従兄弟)にも積極的に関与したほか、バール・バック『大地』を翻訳するなど、幅広い活動を見せた。時代が悪化する中でも、できる限り戦争協力は避け、あえて街や暮らしなどの日常を書くことで、ささやかな抵抗を試みた。敗戦を迎えたのは疎開先の伊豆長岡。 戦後すぐ東京西部協同組合連合会の理事長に就任したほか、日本ペン・クラブの創設では中心的役割を演じる。47年、日本一の文化村を目指して杉並区長に立候補し、当選。しかし、健康がすぐれず、また区議会や行政に失望してわずか1年で辞任。その後も病魔と闘いながら文筆活動を精力的に続けるも、51年に脳溢血のため永眠した。享年63。 関連リンク 世界の杉並区ーわたしの文化設計/新居格 上記内容は本書刊行時のものです。
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【新刊】石川三四郎 魂の導師
¥1,650
大澤 正道(著) 発行:虹霓社 B6 234ページ 並製 ーー吾等の生活は地より出で、地を耕し、地に還へる、是のみである。之を土民生活と言ふ。真の意味のデモクラシイである。地は吾等自身であるーー(石川三四郎「土民生活」) 幸徳秋水、大杉栄と並んで日本のアナキズム運動の先駆者と称されながら今や忘れられた思想家・石川三四郎。エドワード・カーペンター、エリゼ・ルクリュ、田中正造を生涯の師と仰いだ石川の思想を深化させたのは七年に及ぶ亡命先のヨーロッパでの百姓生活だった。その思想は「土民生活」に昇華し、後半生は東京郊外で農耕と共学の半農生活を実践した。戦争下にも自給自足の土民生活を続け、八十年の長き生涯を少数者として生き抜いた。 その石川が晩年に放った〝光と薫〟を一身に受けた著者が、評伝の枠を超えて著した一巻の紙碑、ここに復刻。 解説は森元斎。 「石川の思想や行動には、未だにくめども尽きぬ源泉が噴出している」(本書解説より) *本書は1987年にリブロポートより刊行された『石川三四郎ー魂の導師ー』(大原緑峯名義)に「新版あとがき」及び「解説」を加えて復刻したものです。 目次 Ⅰ 美しい死顔 一生勉強おし/別れの日に/思い増す人/光と薫の紙碑を Ⅱ 家を離れ、恋に破れる 利根川の産湯につかる/たらい廻しの書生生活/一波が万波を呼ぶ/永遠のペアトリーチェ Ⅲ 十字架と社会主義 黒岩涙香の秘書として/「いささか犬王だね」/飛躍する魂ー徳富蘆花/飛躍する魂ー木下尚江/ 師田中正造と共に/十字架は生命/監獄という道場 Ⅳ 流人、ヨーロッパへ 「虚無主義者」となる/ミルソープへの巡礼/「一人前になれた!」 Ⅴ 深く、静かに土着する 西欧文明を疑う/帰国第一声/半農生活に入る/美の革命へ/「法の如く修行する」 Ⅵ 天皇と無政府主義者 昭和二十年八月十五日へ/今上天皇を擁護する/「心底を永遠に据える」 あとがき 新版あとがき 石川三四郎・年譜 [解説]大澤 正道『石川三四郎ー魂の導師ー』について/森 元斎 前書きなど 石川は、「生活態度の革命」というエッセイを、昭和二十六[一九五一]年に書いているが、 そのなかの一節で、 私はヨーロッパに行つて、会ふ人も会ふ人も、悉くといつてよろしいほど、単純生活、労働生活の実行者であり、純潔な修道者のやうに見えたのに驚かされた。エドワード・カアペンター、ルクリュ一族、チェルケゾフ、グラーヴ、トルトリエ、ピエロー、何れも徹底した単純生活者で、各々自らの生活に平和な自然な真実の光を湛えてゐるのであつた。特にアナルシスムを説くのでもなければ、新らしい道徳を主張するでもないが、唯だこの世俗に見られない光と薫とを身辺に放つてゐる。それだけだ。それでその身辺に及ぼす感化力は深刻なのである。(『著作集4』) と、述べている。 これだ、とわたしはおもう。 石川もまた、その身辺に「この世俗に見られない光と薫とを」放つひとりであった。そして、その最後の輝きがあの美しい死顔である。 石川の身体がなくなってしまった今、わたしたちにできることは、なんらかの形でこのような存在としての石川を、この世にとどめておくことであろう。 石川の郷土の人たちは、彼の生まれた土地に御影石の顕彰碑を建てた。 わたしは、 わたしなりに、一巻の紙碑を建てたい。それは、 石川がわたしたちに与えた「光と薫」を、まだ石川を知らぬ人たちに伝え、さらにはのちのちの世の人たちもまた享受しうるものとなるだろう。(本書より) 版元から一言 今や「石川三四郎」と聞いてもピンと来る方はあまりいらっしゃらないかと思います。それは、同じ平民社の幸徳秋水や大杉栄が若くして権力から抹殺されたのと違って80歳まで生き抜いたことや、自分の思想を広めることを第一に考えなかったからかもしれません。 森元斎さんが解説で書いてくださっています。「全てにおいて奇跡的なタイミングで、戦後まで生き延びた石川は、少数者であり続けた。そこに石川が人生をかけて生きた思想を見出すことができる」と。今年は、石川が百姓生活を実践した欧州亡命から帰国して100年になります。少数者になることを厭わず、後半生を〝地〟とともに生きようと半農生活を実践した「忘れられた思想家」をこの評伝で知っていただければばうれしく思います。 著者プロフィール 大澤 正道 (オオサワ マサミチ) (著) 1927年名古屋市生まれ。1950年東京大学文学部哲学科卒業。在学時からアナキズムに傾倒し、日本アナキスト連盟に加盟、機関紙の編集を担当。卒業後平凡社に入社。平凡社では編集局長、出版局長、取締役を経て1986年退社。 著書に『自由と反抗の歩み』(後に『アナキズム思想史』と改題)『大杉栄研究』『忘れられぬ人々』『アはアナキストのア』など。共編著に『われらの内なる反国家』(内村剛介共編)、『虚無思想研究』、『土民の思想 大衆の中のアナキズム』、松尾邦之助『無頼記者、戦後日本を打つ 1945・巴里より敵前上陸』の編・解説など。翻訳にハーバード・リード『アナキズムの哲学』、E・H・カー『バクーニン』等。 上記内容は本書刊行時のものです。